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2010年7月31日 (土)

ミーハー万歳!

さすがに7月も終わりとなると、学校も生徒が少なくなる。
活動さかんなクラブは相変わらずがんばっとるし、白亜祭の準備に勤しむ生徒たちも感心感心。
とはいえ、やはり静かな校内。
おかげで仕事ははかどるな。

そんな中、久しぶりに会った生徒に「読みましたよー」とか声をかけられ、「村上春樹好きなんですねぇー」と言われてしまった。
おっと、分かってくれましたね。
分かってくれる人がいてよかった、よかった。
前回の記事は、まぁ知っている人なら、村上春樹好きなんだなとすぐ分かるだろうと思って書いたわけで、分かってくれてちょっと嬉しかったりする。
言っておくけど、あれは物真似ではない、オマージュである(?)。
何のことか分からない人は村上作品を読んでおくれ。
(ただし『羊をめぐる冒険』以降)

さて、それはいいとして、ついでにこうも言われてしまった。
「先生って、けっこうミーハーですよねぇ」

ガーン。
ちょっとショックだ。
確かに村上春樹はめちゃくちゃメジャーになっちゃったけれど、それだけでそんな……。
いや、実はそれだけで彼女は言っているわけではないのだな。
私がけっこうメジャーなものが好きなのを知っておるのだ。
自分としては、好きな人(モノ)がメジャーになっただけ、という意識なのだけれど。
って、これはミーハーな人がよく言う言い訳か。

そういえば、ちょっと前にNHKでショパンの特集番組をほぼ1日中放映していて、そこで好きなショパンの曲ベスト10の投票をしていたのだけれど、ベスト3に入った曲が、私が選んだ3曲と全く同じであった。
オクサンに、やっぱりミーハーだね、と言われてしまった。
(ちなみにオクサンのベスト3は一曲も入っていなかった)

でもね、ショパンってもう生誕200年なんでしょ?
流行も何もないんじゃないの?
ミーハーとか言われるの、心外じゃ!
と抗ってみたものの、まぁやっぱり好みが一般的であることは否めないな。

ところで先の生徒に話は戻って。
うかつに「ミーハーである」ことを認めてはいけないと思い、ここでも抗ってみる。
「君ぃ、村上春樹だけでミーハーとか言われたくはないわい」
「えー、じゃぁ他にどんな作家が好きなんですか?」
「いやぁ、その、伊坂幸太郎とか、東野圭吾とか……」
「……ミーハー、ですよね」
「……認めます」

いいものは、いいのだ!!
 

※注 他にも好きな作家はたくさんいるので、固定観念を持たぬようお願いします!

2010年7月27日 (火)

パンダ来い!

本の納品は終わることなく、司書教諭の仕事は延々と続く。
学校広告は途切れることなく、広報の仕事は延々と続く。
新校舎の工事は滞りなく進み、新図書室がらみの仕事は延々と続く。
ということで、夏休みはなかなかやってこない、ような気がする。
やれやれ。

昨日は広告の制作業者から電話で原稿の催促をされていたところ、突然中学1年生が「せんせー、今日もヒマぁー?」などと大声で叫びながら図書事務室へ入ってきた。
こいつらぁー……(怒)。
ちょうど催促する業者の営業氏に「いやぁ、ちょっと忙しくて……」などと言い訳をしておったのに、君たち見事なタイミングで怒鳴りこんできましたねぇ(怒怒怒)。
絶対聞こえていただろうな、間違いないな……(涙)。

ひぃひぃ言いながら仕事してるのが目に入らんか!!
だいたい君らがグチグチいろいろ話してくるから、仕事あるのに話を聞いてやっとるんだろう。
ヒマだからムダ話しているわけではない!
まぁ中1じゃあ仕方ないか、と半ば諦めつつ「ごるらぁー、ノックくらいせい!」と叱ってみるが、効き目なさそうだな。
やれやれ。

ところで今日新聞を読んでいたら、どうも気になる表現があって、一日中すっきりしなかった。
上野動物園に、中国からパンダがやってくることが決定したそうで、まぁそれは良かったのだろうが、この女の子の方のパンダをこんな風に表現していた。

「(女の子は)丸顔のパンダで……」

丸顔のパンダ?
丸顔でないパンダなどいるのか?
四角顔とか三角顔のパンダなど、どう考えても……というか、考えたくないな。
これって、鼻が長い象とか、首の長いキリンなどというのと同じじゃないか?

わざわざ女の子の方を「丸顔の」というからには、もしかしたら男の子の方は違うのかと思い写真を見てみたが、男の子も丸顔だよなぁ。

ちなみに女の子は、中国でも容姿が良いと評判らしい。
まぁ表現が“アリ”かどうかはともかく、容姿の良いパンダに期待しましょう。
新図書室には女の子パンダのぬいぐるみでも置きたいですねぇ。
パンダ、来~い。

2010年7月20日 (火)

反省なしか!

学校は夏休みに突入。
しかしサマーゼミもスタート。
ということで、学校に行ってもほとんど普通の日と変わらない。
今日も図書室では貸し出し対応をしたわけだが、むしろ普段より貸し出し数が多いくらい。
夏休みとは言えんなー、これは。

ところで、相変わらず仕事でバタバタしており、今日も来ていた図書委員に窓口対応をしてもらっていたが、またまた彼女はやってしまっていたな……。
カウンターには「あの」中学3年生。
お客は高2の常連さん。

中3の係「何番ですかー」(相変わらず無愛想)
高2の客「××××番です」
中3の係「はい(カチカチカチカチ)………、えー、何何?」(パソコンを見て激しく動揺)
高2の客「は?」
中3の係「どうしよどうしよ」(パソコンに表示された漢字の名前を読めずパニック状態)
高2の客「え、は?」(不安)
中3の係「あーあー、それに延滞してる延滞してるぅ!」(大騒ぎ)

コイツ、全く反省しとらんな。
先日高2のお客を中2と間違えるという粗相をして、しっかり叱って(いじめて?)やったのだが、何も変わっとらんじゃないか。
相手は先輩だぞ、ちゃんとお話しなさい!
確かに名前を確認するようにと言っているが、漢字読めなかったら「お名前は……?」とか尋ねればいいじゃん。
しかも貸出期限をちょっとオーバーした本が1冊あってくらいで大騒ぎしなくてもいいでしょ、目の前に本人もいるのに……。

やはり営業スマイルをしっかり教育する必要があるな。
とはいえ考えてみると、何で私がそんなことしなきゃいかんのか?
中学の礼法の授業に、正しい挨拶の仕方を覚えるはずだが、その学習項目の一つに「営業スマイル」も加えてもらいたいものだ。
(などと言ったら礼法の先生に叱られるだろうな)

おいおい、それに気付いてみたら、裏表紙の見返しに貼った用紙にハンコで押す、返却の期限日の日付が間違っているではないか!
特別に現在はすべて夏休み明けの9月2日が期限なのだが、日付が6月2日になってる……。
誰だぁ、誰がずらしたぁ!
「触ってませんよー」
「私もハンコは知りませんよー」

あ、……私でした!

ps:
本日早い時間帯に借りた方、期限日付が6月2日になっておりますが、9月2日の間違いでございます。
どうにか6月に戻って返せ、とは申しませんので、安心してお返しください。
失礼しました!

2010年7月12日 (月)

真の教育者は解放する

『超訳 ニーチェの言葉』という本はよく売れているみたいで、ウチにも置いてある。
「明るいニーチェ」というのがキャッチコピーで、まぁいわゆる金言集みたいなものとしては面白く読めるのだけれど、ニーチェが明るくていいのか、という素朴な疑問は残る。
ニーチェなどというのは、ちょっと背伸びしたくなる年頃に『ツァラトゥストラはかく語りき』なんて代物に手を出して、何が何だか訳がわからんと途方に暮れつつ、頭を抱えつつ、ちょっと大人になったかとほくそ笑むことに意味があるように思うのだけれど。

さて、難しい話はさておき、何で突然ニーチェなんだと訝しく思われるだろうが、実はパラパラめくってみたら「真の教育者は解放する」という文章が目についたから。
真の教育者を目指す司書教諭としては無視できないタイトルじゃ!
ちょっと長いけれど、こんな内容。

 いい学校に行けば、いい教師がいて、いい教育をしてくれるという。それは本当だろうか。
 だいたいにして、何を教えてほしいと期待しているのだろうか。どういうふうに教育してもらいたいというのだろうか。
 教師や学校によって、教える事柄が変わるのだろうか。
 しかし真の教育者とは、銘柄とか実績によるのではなくて、あなたの能力をフルに発揮させてくれる人ではないだろうか。つまり、真の教育者とは、あなたの解放者であるはずだ。
 ならば、あなたがいきいきと自由に、活発に、能力を充分に発揮できるようにさせてくれる人こそがあなたの本当の教育者であり、そこがあなたの学校だということだ。
                               『ショウペンハウアー』

名著『ショウペンハウアー』の一節。
おー、これはもしやこの図書室にうじゃうじゃ増殖する生徒の姿ではないか?
完全に解放されているぞ。
言いたい放題、踊りたい放題、やりたい放題ではないか!
ということは、ここに居るのが「真の教育者」ではないか!

「君たちは自由にやっとるよな、解放されているよな」と生徒に念を押す。
生徒は笑いながらぼそっと言う。
「まぁ、自由の履き違えってやつですね、ははは」

はははははは…………おっしゃる通り!
なんか、無性に腹立ってきたなぁー。

2010年7月 5日 (月)

納豆を認めよ

今日から定期考査である。
それなのに更新をまたチェックされお叱りを受けてしまった(生徒に)。
ブログチェックする暇があるなら勉強しなさい、と言いたい。

さて、ご無沙汰しておりました。
ワールドカップにおける日本の敗退により、ショックの余り熱を出してずっと寝こんでおりました。
食事も喉を通らず夜は眠れず、絶望の縁で喘いでおりました。

というのは嘘で、ただ単に相変わらずの慌ただしさに喘いでいただけ。
日本代表については本当に惜しかったのだけれど、これ以上望んだらバチが当たるだろうな、とも思うので、もう十分満足である。
よく頑張ってくれた(感涙)。

さて早いもので、定期考査。
ということで、先週はずっと図書室もテスト勉強する生徒でいっぱいであった。
しかし一部では勉強すると言いながら司書教諭とつまらん話をして時間を無駄遣いする者もいる。
親とケンカ中であると言ってヒートアップし、延々愚痴をこぼされるこっちの身にもなってくれぃ。
「先生、親の言うこと理解できません! どう思います?」
知るか! 何とかゲンカは犬も喰わないというであろうが(あれは親子ではなかったか……)!
と、突き離したいところだが、聖職者たるもの、そうもいくまい。

いいか、君も言いたいことがあるのだろうが、親には親の立場というものがあるのだ。
しかし相容れぬ両者が、そうそうお互いを理解することなどできない、諦めろ。
理解しなくてもいいから親の立場を認めろ、相手を認めなければ自分も認められないのだ。

などと、すでに聖職者というより一人の悩める親のような(その通りなのだが)説得を試みる。
うさんくさそうな顔をする生徒にさらに追い打ちをかける。

「私は納豆が大嫌いだ」
「は?」
「本当なのだ。小さい頃口に入れた瞬間、○○してしまった(自主規制)」
「はぁ……」
「私はあれを見るだけでも鳥肌モノなのだが、息子は大好きなので毎日食卓に出てくるのだ。家中ぷ~んと匂いが漂ってくる。たまったもんではない。しかし納豆が栄養豊富であることは知っている。だから私自身は納豆のあの匂いやらネバネバやらは到底理解できないが、その存在意義は認めるところであり、文句も言わず大人の付き合いをしている」
「…………」
「当然分かっていると思うが、私に対する納豆というのは、君に対する親のメタファーである。まずは認めるところから始めたまえ」

言うだけ言ってしまってこちらは満足したが、生徒は満足……していないようである。
「先生、それでいいんでしょうか?」
「うん?」
「先生は確かに納豆を認めたかもしれません、でも先生は認められたわけではありませんよね」
「ま、まぁ」
「私は、納豆は先生を認めていないんじゃないかと思いますよ。存在意義が見られませんからね」

撃沈である。
納豆に……負けた。
私の存在意義はいずこに……。