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2014年2月 1日 (土)

誕生日でしたけど。

実は先日、司書教諭は誕生日を迎えたのであった。
何回目の、ということは触れずにおくが、まぁかなりの回数であることは間違いない。
もっとも、この歳になると必ずしも楽しみな日ではないし、というかできるなら来なくてもいいと思ったりするわけであり、どうでもいいって言えばどうでもいい。
とはいえ、その日になっても誕生日だということに自分でさえ気がつかず、仕事を始めようと思ってメールチェックをしたところ、会員登録している富士通関連のサイトから届いた「お誕生日おめでとうございます!」という、呆気にとられるほどのヤケに明るいバースデーメールが届いているのを見て、やっと「あーまた歳をとってしまったのかぁ」と気づく、というのもけっこう淋しいものがあるな。

まぁ自分で忘れていたのはいいのだけど、朝起きて話をしていても、ウチの女帝や息子、誰も「おめでとう」の「お」の字もないというのはいかがなものだろうか?
忘れているのだろうか?
当然忘れているのである。

女帝には逆らうことはできない、そんな恐ろしいことはできない。
朝は忙しんだからそれどころじゃないでしょー!!と、超弩級の「いかずち」が炸裂するのは目に見えている。
よって女帝の方はとっくに諦めているが、息子よ、キミはどうなんだ?
誕生日といえばせっせと魚の絵を描いてバースデーカードを作ってくれていた、あのかわいらしいキミはどこへ行ったのだ? (遠い目)

などという話を、ほぼ同じ頃に誕生日を迎えた同い年の先生に話したところ、やはり同様に「誰も祝ってくれない」と愚痴をこぼす状況なので、皆そんなものなのかと共感をもって納得する。
しかも、「私なんて、その日にガン検診行っちゃいましたよ」というくらいで、もう何かお祝いをするという雰囲気などなくなってますな。
もっとも考えようによっては、毎年誕生日にガン検診というのも、これくらいのトシの人々には正しい誕生日の使い方のような気もするけど。

生徒にしても、その気になって調べなきゃ教員の誕生日など知る由もなく、完全スルーである。
まぁ率直に言えば、「興味がない」ということだが。
それでも中には、教員紹介が載っている機関誌などで誕生日をチェックし、しっかりお祝いを言ってきてくれる生徒もいるのである(飴玉付きとか)。
将来は出世するタイプだな。
もちろん、お祝いを言ってくれたからといって、えこひいきするようなことはしない。
まぁ、本を延滞しても文句を言わないとか、制限冊数越えても見逃しちゃうとか、本を借りなくても図書事務室にある飴やお菓子を食べてもOKだとか、せいぜいそんなもんである(たぶん)。

言っておくが、決して私は「お誕生日おめでとう」と言わない者に対して深く根に持つような人間ではない。
と、思う。
と言いつつ、テンション下がってきたので今回はこれまで。