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2010年7月 5日 (月)

納豆を認めよ

今日から定期考査である。
それなのに更新をまたチェックされお叱りを受けてしまった(生徒に)。
ブログチェックする暇があるなら勉強しなさい、と言いたい。

さて、ご無沙汰しておりました。
ワールドカップにおける日本の敗退により、ショックの余り熱を出してずっと寝こんでおりました。
食事も喉を通らず夜は眠れず、絶望の縁で喘いでおりました。

というのは嘘で、ただ単に相変わらずの慌ただしさに喘いでいただけ。
日本代表については本当に惜しかったのだけれど、これ以上望んだらバチが当たるだろうな、とも思うので、もう十分満足である。
よく頑張ってくれた(感涙)。

さて早いもので、定期考査。
ということで、先週はずっと図書室もテスト勉強する生徒でいっぱいであった。
しかし一部では勉強すると言いながら司書教諭とつまらん話をして時間を無駄遣いする者もいる。
親とケンカ中であると言ってヒートアップし、延々愚痴をこぼされるこっちの身にもなってくれぃ。
「先生、親の言うこと理解できません! どう思います?」
知るか! 何とかゲンカは犬も喰わないというであろうが(あれは親子ではなかったか……)!
と、突き離したいところだが、聖職者たるもの、そうもいくまい。

いいか、君も言いたいことがあるのだろうが、親には親の立場というものがあるのだ。
しかし相容れぬ両者が、そうそうお互いを理解することなどできない、諦めろ。
理解しなくてもいいから親の立場を認めろ、相手を認めなければ自分も認められないのだ。

などと、すでに聖職者というより一人の悩める親のような(その通りなのだが)説得を試みる。
うさんくさそうな顔をする生徒にさらに追い打ちをかける。

「私は納豆が大嫌いだ」
「は?」
「本当なのだ。小さい頃口に入れた瞬間、○○してしまった(自主規制)」
「はぁ……」
「私はあれを見るだけでも鳥肌モノなのだが、息子は大好きなので毎日食卓に出てくるのだ。家中ぷ~んと匂いが漂ってくる。たまったもんではない。しかし納豆が栄養豊富であることは知っている。だから私自身は納豆のあの匂いやらネバネバやらは到底理解できないが、その存在意義は認めるところであり、文句も言わず大人の付き合いをしている」
「…………」
「当然分かっていると思うが、私に対する納豆というのは、君に対する親のメタファーである。まずは認めるところから始めたまえ」

言うだけ言ってしまってこちらは満足したが、生徒は満足……していないようである。
「先生、それでいいんでしょうか?」
「うん?」
「先生は確かに納豆を認めたかもしれません、でも先生は認められたわけではありませんよね」
「ま、まぁ」
「私は、納豆は先生を認めていないんじゃないかと思いますよ。存在意義が見られませんからね」

撃沈である。
納豆に……負けた。
私の存在意義はいずこに……。